月影
第壱話


臥し待ちの月。
待ち焦がれても待ち焦がれても。
不図起きし時には、早、日が昇りくる時。
臥して待つ間に、すっと姿を現し、そして沈みゆく。

恋焦がれし、かの月のように。

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月も未だ姿を現さぬ暁九つ、子の刻。
戻り橋と呼ばれる事となるこの場所に一人佇む姿あり。

「やれ、鬼神と言われし妖なれど、さして力もなかろうて」
思うたよりも易き祈祷に安堵の息をつく。

「あぁ、哀れな事をした」

先の妖との振舞に、巻き込んでしまった美しき蝶。
羽を裂かれて、土へと臥すその儚き姿。

「かように美しき蝶を目にするのは初めてじゃ」

左手にそっと乗せ、右手の人差し指を口へとあてる。
何事かを呟いた男は、そっと蝶の体を人差し指で撫でた。
男の指から、柔らかな風が吹き抜ける。

散り散りに成り果てたはずの羽が

美しく合わさった。


「このまま、せめて冬は越せるであろう。命を存えたくば、私のところへくるがよい」

そう告げ、男は蝶を離した。

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間口八間ほどもある表口をくぐり、屋敷へと入る。
一人で生活をするにはあまりにも広い屋敷の中庭には、美しい染井吉野の櫻の木。
「今日も美しいのじゃ」
季節柄、咲いてはいなくとも、その立ち居振る舞いがなんとも美しい。
ようやく姿を表した臥し待ちの月に照らされて、美しく夜庭に浮かび上がっている。
書室へと向かい、不図思う。
「あぁ、翔は元気であろうか」
幼馴染の翔は、都から離れた土地へと行ってしまった。
両の親との別れはもう幾年も昔の事。
落とし子と噂され、方泣きした日も、もう昔の事。
お母様は大妖の化身と呼ばれ、お父様はそんなお母様を手にかけたと言われ、人では無き子と石を投げられたのも、昔の事。
それでも、今尚、鮮明に脳裏に浮かぶのは何故だろうか。
今では陰陽寮へ属す程の力も得た。
それでも
心繋がる友との別れを癒す事は難しい。
かのように昔の事ばかり頭に浮かぶのは、翔が都を出てしまったその日から始まったのだ。
「…そうだ。返事を書かねばならぬのだ」
それでも、翔は自分の為に、毎日のように文をくれる。
まるで、恋焦がれる姫君へ送るかのように、熱心に、欠かさず文をくれる。
翔の使う式神は、とても美しい鷹の姿をしている。
その鷹が、毎日のように文を届けてくれるのだ。
「…私も、式を手元に置きたいものだ」
まだ、転生させた式を持っていない。
和紙やら木片やらから生み出す式は、役目が終わると消えてしまう。
それでも偶にお茶を入れてもらったり、書を運んでもらったりと、役にはたってもらっているのだが。
話し相手にはなりはしない。
いっそ家鳴でも飼いならしてみようか。
そんな事を思いながら、文を書く為、硯を出し墨を磨る。

不図、格子の向うがぼんやりと光り、眼を向けた。

「おや。お前は」

先程の蝶であった。

弱弱しく、格子を抜けて文の上に止まる。
「困った子だね、これは今書いたばかりだというのに」
苦笑いして、問いかける。
「このまま、飼われにきたのかい?それならば、美しい籠を用意せねばなるまいね。それとも…」
微かな期待を込める。
「転生…しにきたの?」
蝶は羽をゆっくりと羽ばたかせた。
「なんと…。私の式へとなると言ってくれるのか?お前の生を奪ったのは、この私。それでも、式へと転生してくれると?」
蝶は、もう一度ゆるりと羽ばたいた。

あぁ…

やっと


私も


臥し待ちの月を見る事が出来るのか。


喜びに満ちた手で、蝶を静かに撫で、術を唱えた。
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「ただいま、慎吾。今日はお主に衣を買うてきたぞ」
その声に、部屋の奥から駆け寄る人影。
「…智。もう衣櫃が溢れそうぞ」
「そう言うではないよ、慎吾。お主にとても似合いそうだったのだもの」
そう言って、広げて見せた智へ、慎吾は少し口を尖らせる。
「智。それはまた女の物ではないか。ならばいっそ、私に女の姿を与えればよかったものを」
「…慎吾は美しいのだから、よいではないか」
智は微笑む。
「元の姿はそれは美しい羽をしておるのに、私の式の姿は地味で粗末な色合いでは申し訳が立たぬ」
「…智」
「いいのだよ、私が良いと言っておるのだ。主の言葉に異を唱えるつもりか?」
慎吾は呆れたように呟いた。
「このような時だけ主と言うのだから、始末が悪い」
「何か?」
「何でもない」
「まぁ、よい。慎吾、茶を淹れてくれ。櫻を眺めて、共に飲もうぞ」
「…今日こそ、旨いと言わせてみせようぞ」
慎吾は美しい着物の袖を翻し、歩いていった。

「臥して、待った甲斐もあったというものぞ」

智は笑う。

中庭に向うと、美しき鷹の姿。
「おぉ。康哲か」
庭に降り立つと同時に身の丈6尺足らずの切れ長の眼をした美丈夫へと変わる。
「翔より文を預かった。智殿、お元気であったか?」
「最近、康哲は人の形になる事が増えたのではないか?昔は鷹の姿のまま来ては、文だけ落とし戻っていったりもしていたものを」
「…そ、そのような事は。智殿の気のせいぞ」
「…そうであろうか。いや、新しき式が家に来てから特に…と思っておったが」
「いや、それはっ」
「まだ、話をした事はないのであったな。では始めに教えておくべき事があるのだが…」
「な、何を…っ」
「申し訳ないのだが…あの式の名前は…」
「な、名前は?」
身を乗り出した康哲に、智はさも面白そうに微笑んだ。
「慎吾という。紛れも無く男なのだよ、康哲」
「なっ!!」
眼を白黒させ…顔の色を朱から藍へと変えてみたりと、大慌ての康哲に
「まぁ、どちらにせよ、今日は共にお茶を飲んでいったらどうだ?康哲と慎吾はきっと親しくなれる。いや…友になってやってほしいのだ、康哲」
言われて、康哲も、少し落ち着いて頷く。
「まだ、転生して日が浅いのでは、知らぬ事も多かろう。私でよければ、時々話をしに参ります」
「ありがとう。そうだ、康哲。今度あの子の元の姿を見せてもらってごらんよ」
「元の、姿?」
「そう。元の姿はね、式の姿である今にも負けず劣らず、それはそれは美しい羽を持った蝶なのだよ」
「ほう。それは…是非見てみたいものです」
康哲も優しく笑う。
智の、心が伝わるから。
やっと見つけた心の安住なのだ。
翔と離れて以来、やっと出来た友なのだ。
主従の関係があろうとも。
智にとっては、掛替えの無い友なのだ。

それが、痛いほど伝わってくるから。
嬉しさが、満面の笑みに現れているから。

だから、

康哲も、心から微笑んだ。
翔へも、報告する事が出来る。

智殿は、大丈夫です

と。





「慎吾…不味いのじゃ」
「嘘を申すでないぞ、智。今日の茶は最高の出来だ。不味い訳がなかろう」
「…とても美味しいが」
「そうであろう?康哲殿」
「康哲でいい。私も慎吾と呼ばせてもらおう」
「…ちょっと、私を間に挟んでいるのに、存在を無視するとは許しがたいものがあるね。康哲、慎吾に教えてしまおうか」
「さ、智殿!?」
「慎吾…康哲は、少し前まで、お主に…」
「智殿〜!!」
「な、何の事ぞ?」
「康哲、顔が真っ赤ぞ!」
「智殿!!翔に言いつけますぞ!」
「卑怯だ!」
「どっちが!」
「…あのぉ。一人にしないで欲しいのだが」




もう

大丈夫


臥して、待った日々も終わり


これからは

ずっとずっと側に居るから。



柔らかな


月の光に照らされて

post script
*臥し待ちの月…(陰暦19日の夜の月)出るのが遅くて、臥して待つといわれている。
*間口八間…1間1.8mなので計算してください(爆)...14.4m。でかすぎ(笑)
*落とし子…身分のある人間が正妻以外(愛人)に生ませた子
*方泣き…一人泣き。(半泣きの意味もあり)
*衣櫃…衣服を入れておく大型の箱
*6尺弱…180cm弱って感じ。


■後書■
始めてしまいましたね。
以前からずっとずっと言っていた「櫻」の智達主役連載。
「櫻」以上に、古典を意識した書き方を…とすごく頑張ったんですが、多分次回から言葉遣いも言い回しももっと現代的になってしまうかもしれない(爆)。
頑張ろ〜。

…って次回もあるのか(爆)。

一応連載予定。

でも、これ、この一話で終わっても大丈夫そうなので(爆)、反応見て考えます(ぇ)。

だって、本人書きたくても、皆様読みたくなかったら、書いてもねぇ。って話ですし(苦笑)。

何も考えずに書いたので、この先どうしようか全く想像もつきませんが(ぇ)。
良かったらお付き合いくださいませ。


臥し待ちの月…っていう言葉だけで、このお話を書きたくなってしまっただけなんです(爆)。

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