月影
第弐話


染井吉野が咲きほこる頃
常思ひ出すは
幼き頃の優しき手

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「智。まだ起きぬのか?朝催ひも済んでおる」
慎吾の声に、智はようやく瞼をあけた。
「あぁ。良ひ香りじゃ」
大きく伸びをして、智はゆっくりと膳に向う。
「智、また遅れては…」
「何、小言を言われるのは慣れておる」
「そういう事では…」
「よいのだよ。私には、慎吾とのかような時間が大切なのだ」
「けれど、陰陽寮へは少し遠い故、智の歩みでは…」
「慎吾」
「…何であろう?」
「お茶」
「…承知した。もう何も言うまい」
智はどうも陰陽寮への足取りが重い。
何か訳があるのであろうか。
慎吾はそう思いながら、茶を入れた。
「慎吾!」
後ろから大きな声で智が呼ぶ。
「何事ぞ!」
「お主、何をしておる!」
「何がだ?」
「今、いつ時と思うておる?」
「は?」
「春であるのだぞ?」
「それがどうかしたのか?」
「重ね色が…それでは冬ではないか」
「?」
「あぁ、慎吾にはまだ教えておらなんだか」
「智…色が何か?」
「大切な事ゆえ、今日の勤めが終わり、戻ってきたらゆっくり教えるとするよ」
そう告げ、
「では、出かけてくる」
智は出て行った。
「はて。色がどうしたのであろうか」
慎吾が今身につけている表着、打衣、袿、単の色合いは…見事なまでに白き色をしていた。
「…確かに、これでは先日康則に聞いた話の雪の女子のようだ」
慎吾はくっくっと笑い、膳を片付けた。
そこへほとほとと戸の鳴る音。
「はて?智がなにやら忘れでもしたであろうか」
そう思い、急ぎて戸を開けると
「おや、康哲ではないか」
「智殿は?」
「もう勤めに向っておる」
「そうか。遅かったか」
「何か、急ぎの用でも?」
「いや…まぁ、よい。戻るまで待たせてもらおう」
「…夕刻まで帰らぬぞ?」
「それまで、お主と積もる話でも」
「特にないが」
「俺にはある」
「康哲…お主は遠慮という言葉を知っているか?」
「俺は慎吾より、先に式となって、人の世にも詳しい事を忘れたか?遠慮くらい知っておる」
「ならば…」
「俺とお主の間に遠慮なぞ必要であろうか?」
にや、と片口を微かに持ち上げ笑う。
「…もう、よい。お茶でも淹れる」
「おぉ。慎吾のお茶は美味いので好きだぞ」
「…お主、嫌いなものなぞあるのか?」
「慎吾は俺をわかっておらぬなぁ」
飄々と笑いながら、康哲は縁側へと座る。
「何故故、態々間口から?いつもはすぐにこの庭へとくるであろうに」
「今日は先から人の形で来たのだよ」
「何故?」
「…色々と事情があるのだ」
「教えてもらえぬのか?」
「…すまない。俺も知らないのだよ」
「どういう意味ぞ?」
「翔に言われたのだ。今日は人の形でいけ、と。鷹には戻るな、と」
「はぁ。何故ゆえ、そのような事を」
「わらかぬ。どれ程長く共に過ごそうとも、やはり人の考える事はわかりかねる」
康哲は、切れ長な目を伏せた。
「いずれ、判る時も来るであろうよ」
そういいながら、茶を差し出す。
「そうであろうか?」
「でなければ…」
悲しすぎる。
智が…哀れだ。そして、自分も。
慎吾の声が、届いたかのように、康哲はゆっくりと頷いた。
「そうだな。智殿と慎吾はすでに分かり合っておる」
柔らかく笑う康哲に、慎吾は少し照れくさく、頬を染めた。
「まだ、判らぬ事も多いけれど」
「何か?」
「今日の朝も…」
と、重色の話をすると
「ふむ。確かに、今日の慎吾では冬であろうな」
季節と、違えてしまっているよ
「何故?」
「今日の慎吾の色味は「氷重」と呼ばれるものぞ」
「なにやら、寒そうな」
「そうであろう?それゆえ、冬の色なのだよ」
「あぁ。そういう意味があるのか。では、春はどのような…」
「智殿が教えてくれるであろうよ。ただ、判りやすく例えるのであれば…自然の色味を大切にすれば良いだけの話だ」
「自然?」
「そう。今、お主と二人で眺めているこの染井吉野の櫻の木。花弁はなんとも言えぬ美しき色をしておるだろう?」
「智の、好きな色ぞ」
「これも、春の色だ」
「あぁ。それでは…あの野に咲く若草も…」
「その通り」
「康哲!」
「何ぞ?」
「お主、偶には役に立つのだな!」
「…偶にか」
「智を驚かせる為に、着替えておこう」
ふふ、と慎吾は笑う。
「智が、我に教えてくれるより先に、我が春の衣を着ていれば、さぞかし驚くであろう」
それはそれは嬉しそうに、慎吾は衣櫃へと駆けていく。
「慎吾は、知らぬのだろうな」
智殿が、何故櫻の色味を好いておられるのか。
「まぁ、それは智殿から聞く事ぞ」
俺が言うべき事ではない。
康哲は笑い、そして櫻を見上げる。
「それにしても、折角二人でゆるりとお茶でも、と思うても、やはり智殿に攫われてしまうのか」
風に攫われる花弁のように、
「叶う事なき、片恋ひのいと切なきよ…と言ったところであろうか」
お主と、同じだな
恋しても、恋しても
ただ、花をつけ、花弁を降らし、そして枯れていく
声を届けられぬは哀れなり。
それ故、誰より美しく咲き誇ろうとするその凛とした立ち姿。
「いずれ、お主の声を聞きてくれる人が現われるであろうよ」
それまでは
「お互い、切なき片恋ひを楽しもうではないか」
笑って
康哲は幸せそうに茶を飲んだ。
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陰陽寮での一日は、いと悲しき事が多すぎる。
智は大きく息を吐き、戸を開けた。
やっと家へとたどり着いた。
『人ならぬ力を持っておるから、出世も早いのだよ』
『母親は白狐の大妖であるというではないか』
『人の友が出来ぬのはそれ故か』
『あやつのは陰陽ではなく、妖術であろうよ』
「出来る事ならば、聞こえぬようにしては貰えぬだろうか」
目の前で、こそりと話されては、聞かぬようにしても耳に入ってくるものだ。
「はぁ」
もう一度、大きく息を吐き、気持ちを変える。
慎吾には、不安を見せたくないのだ。
「慎吾、慎吾!」
「智、帰ったか!」
「おや?慎吾、着替えたのかい?」
「ふふ。驚いたか」
「これは驚いた。ちゃんと春の重色を判っているではないか。何故?」
「自然を見れば判ることぞ」
威張り胸を張る慎吾の後ろに
「あぁ、康哲か」
6尺弱の美丈夫が。
「お邪魔しておる」
「…康哲。何故出てくるのだ」
機嫌を損ねたような慎吾に
「元々、智殿に用があって待っていたのだよ。忘れたのか?」
と優しく諭し、慎吾の頭にやんわりと手を乗せた。
「翔に、なにか?」
「手紙を…預かっております。智殿に、手渡しせよ、と」
「ふむ。何故故?」
そう思い、手に取ると
術のかかった手紙がふわりと開かれ、うっすらと浮かぶ翔の姿。
『智、元気であろうか?近頃、陰陽寮の内外で不穏な動きがある。近い内に、そちらに向う故、それまで気をつけて欲しいのだ。康哲も鷹となっては目立つゆえ、人として、しばらくそちらに居させようと思う』
そう告げ、姿は消えた。
「…翔が来るの?」
智の問いに、康哲は苦笑う。
「詳しき事は、何も知らされてはおりませぬ。ただ、確かに鷹に戻れば、羽を広げて7尺の私では一目につきます。人の形でいるのが、賢明かと思います。翔の思いは智殿をお守りする事。ならば、この康則、命に代えても智殿をお守りいたす」
「智は…狙われておるのか?」
心掛りて、慎吾が問う。
「何、何も心配はいらぬよ」
智は笑い、そして康哲を見る。
「さて。折角の楽しみを康哲に取られたとなると、どう過ごそうかね、今宵は」
「楽しみ?」
「慎吾に、四季折々の重色を説いてあげようと思うておったのだが」
「私は何も…」
困ったように微笑む康哲。
「詳しく話をしようか、慎吾?」
聞けば嬉しそうに頷く。
では、ゆっくりと説いてあげよう。
「まだ、宵の口であるのだから」
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夜も深けて、月の明かりにほんのりと照らされた染井吉野の木の元に、一人佇む智の姿。
目を瞑り、櫻に寄りかかる。
目に浮かぶは幼き自分。
両の親もおらぬ子に
世の中はいと厳しく。
毎夜、この櫻の元で方泣きしていたのだ。
咲き誇る櫻の美しさが
なぜか心に痛かった。
けれど
ある日を境に、それは美しく優しい色として、智の大好きな思ひ出となった。

「『体を壊すよ?中へ入ろう』」
そう…
そう言って
同じように
氷のように冷え切った手を握り
優しく引いてくれた優しき手。
昔と変わらぬやり取りに、智は目を開けた。
「翔…」
「おや、康則の話と違えているようだ。智は泣き虫のままぞ」
昔と何も変わらぬ。

智の涙を拭い、翔は笑った。

櫻舞う月影と
翔の両の手が優しく包む
下弦の月夜

post script
*朝催ひ…(あさもよい)朝飯の仕度。


■後書■
難しい…古語は難しかデス。
ちゃんと勉強すればよかった…
えっと、今回は、ちょっと最近興味を持って色々勉強中の重色について書こうと思ってて、テーマはそこから取ろうと思ってたんですが…
結局テーマは染井吉野になってしまいました(笑)。
この連載は、連載として話を進めながらも、1話1話にもテーマを持たせて書いていきたいなぁと思っていて。(前回は臥し待ちの月ね)
ただでさえ才能ないのに、どうして自分で自分の首を絞めるの好きなんだろうなぁと後悔してみたり(爆)。

あ!途中、全く関係ないように思える康哲の告白タイム(笑)ですが、あれは、櫻への伏線のようなものなのです。ほら、幸人は櫻の声が聞こえたでしょ?だから、それに繋がるように、全く関係ないのではなくて、ちょっと繋がっているんだなぁと思ってもらえれば…と思って書いたんですけど、多分全然伝わってないだろうなぁと思ってここに書き足してみました(爆)。
ちなみに、翔と智のやり取りも、櫻とリンクした感じになっておりまして。
この櫻が二人が幼い頃に初めて逢った場所となっております。
翔との友情も書いていきたいです。

えっと、でもね、ただの日常をただただ綴ろうかとも思ったんだけど…
何か展開がないとなぁと思って、こんな形になりました。

途中で、ちゃんと朝幸ニャンコとの出会いも書きたいと思ってます〜。
櫻の事もちょっと入れられるといいな〜。

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