自転車(逃亡者外伝)
「いてッ……」
自転車と一緒に体を起こす。
昨日、慎吾が買ってきてくれた赤い自転車。
今まで、遊びらしい遊びもたいしてした事のなかった僕は
「学校行くのに、使ってね」
と、笑顔で言ってくれた慎吾に、嬉しくて飛びついた。
自転車、乗ったことなかったから。
だから、すぐにでも乗れるようになって
慎吾に
「すごいね!」
って言ってもらえるように
褒めてもらえるように
学校が休みだったから、朝からずっと練習してたのだけれど……。
「バランス、とれない」
さっきから、数メートル進んでは、転ぶ事の繰り返し。
両肘、両膝擦り剥いて、すっかり血が滲んでしまっている。
今、転んだのでとうとう右膝から血が沢山流れてきた。
痛いのと、悔しいので、薄っすら滲んできた涙を、袖口でクイっと拭う。
「もう一回、やってみよ」
僕の体が怪我するのは別にいいんだ。
でも……
転んでばかりいると、せっかく慎吾が買ってくれた自転車が傷んでしまう。
それが、凄く嫌だった。
だから、早く乗れるようになりたい。
「よし、今度こそ」
漕ぎ出して、フラフラとしながら、少し進んだところで、またバランスを崩す。
「うわッ!」
転びそうになった瞬間……
「ギリギリセーフ」
ガシっと支えられて、顔を上げたら康哲が僕と自転車を救ってくれていた。
「康哲!」
「朝幸、血だらけじゃないか。手当てしないと……」
「……でも、まだ乗れないから」
「消毒が先」
「けどッ!」
「……あのな、朝幸。慎吾の為に早く乗れるようになりたい気持ちはよくわかるけど……お前が怪我だらけなの見たら、アイツ悲しむぞ?」
「……それは、そうかもしれない……けど」
「俺がさ、練習付き合ってやるから。先に消毒済ませて、それから一緒に練習しよう?大丈夫。朝幸、運動神経いいんだから、すぐ乗れるようになるさ」
ポンと頭に手を置かれ、顔を覗き込まれて。
僕は、小さく頷いた。
「ほら、こんなに血が流れてる。痛いだろ?」
康哲は、ポケットからハンカチを取り出して、僕の血を拭いてくれた。
「康哲!汚れちゃうよ、ハンカチ」
慌てて言うと
「ハンカチより、朝幸が大事」
口端を持ち上げて笑った康哲が、僕からヒョイっと自転車を取り上げる。
「俺が、押して行ってあげるから」
ほら、行くよ?
言われて、僕は歩き出した。
痛くて、ヒョコヒョコとしか歩けない僕。
練習している時は、そんなに気にならなかったのに……
今は、ズッキンズッキンと痛みが走る。
「……朝幸」
「な、何?」
「ここで、ちょっと待っていられる?」
家まではあと少しある。
「なんで?」
「いいから。ここで待機。わかった?」
「……うん」
頷くと、康哲は自転車を押して、走っていった。

歩道の端で、僕は座り込んだ。

足も手も。
痛みが酷くなってきた気がする。
それに
悔しさもどんどん膨らんで。

僕は……
どうして、他の皆が出来ている事が出来ないんだろう。
学校の皆は
普通に日常生活が送れて
勉強も普通に出来て
人と仲良くなる事だって話をする事だって、気後れせずに出来て
自転車なんて、当たり前に乗れてて

なのに、僕は……


やっと、「普通」の生活に慣れてきたばかりで
勉強だって、必死にやって何とか追いついてきて
未だに、人と話すのも怖い

こんなんじゃ……
「慎吾に……呆れられちゃうよ……」
悔しくて
悲しくて
抱えた膝に額を乗せて、少しだけ泣いた。

「朝幸!」
聞こえた康哲の声に、慌てて涙を拭い、顔を上げる。
「大丈夫?立てるか?」
聞かれて、コクリと頷き立ち上がった。
すると……
「ほら」
康哲が背中を向ける。
「え?」
「歩くの、辛いんだろ?おぶってく」
「い、いいよ!大丈夫!」
「……朝幸」
「大丈夫だから!」
「……あのさ、朝幸は大丈夫なのかもしれないけど、見てる俺が痛くて耐えられないから」
お願いだから、おぶさって?
僕の強がりを否定しないでくれる康哲。
強がった僕が、頼りやすいようにしてくれる康哲。
僕は、康哲の背中に乗った。
大きくて、温かい背中。
「重く、ない?」
尋ねると
「重くないさ。……って言ったら、失礼だったな?ゴメン」
クスリ、と笑ってる。
「いいよ。小さいのは本当だもん……」
シュンとした僕に
「すぐに大きくなるさ。実際、初めて逢ったときよりも、朝幸はすごく成長したからね」
と、優しく言ってくれた。
「ほんとに?」
「ほんとさ。どんどん大きくなったら……ちょっと寂しいな」
俺、年寄りくせぇ〜
と、康哲が笑ってる。
「大きく、なれるかな……」
背丈だけじゃない。
人間として
慎吾や康哲みたいに
素敵な人になれるだろうか
「朝幸は大丈夫さ」
その言葉が、スっと心に染み入ってきて。
家まで、何も言えずに
康哲の背中に顔を埋めてた。

†††††††††††††††
「ちょっと!どうしたの!」
慎吾に見つからないように、傷口を洗おうと、康哲とそっとお風呂場へ向おうとしたところで、運悪く大野君の部屋から出てきた慎吾に遭遇してしまった。
「あの……」
「朝幸!大丈夫!?血だらけじゃない!すずっくん、何があったの?」
「ん〜?名誉の負傷ってやつだな」
康哲の答えに
「もうッ!わかんないよ!とにかく、朝幸おいで?手当てしよう」
そう言って、慎吾は僕の手を握って、お風呂場へと連れて行った。
「こうして、朝幸をお風呂場に無理やり突っ込むのは2度目だね」
傷口をシャワーで流してくれながら、慎吾が笑う。
「……そうだね」
あの頃から……僕は成長していない気がして、沈みがちに返事してしまった。
「朝幸?痛いの?」
優しく聞かれて
僕は
とうとう
涙を堪えきれなくなってしまって
「朝幸!?」
慌てる慎吾にも、何も言う事が出来ずに、ただ泣きじゃくってしまった。
漸く落ち着いて、リビングに連れて行かれて
手当てをしてもらっていたら、慎吾が優しく尋ねてきた。
「何か、あったの?」
「……乗れないんだ」
「え?」
「慎吾が折角買ってきてくれたのに……僕は、自転車にも乗れない」
「朝幸?」
「勉強だってこんなに必死にやっても、まだまだ追いつけない。人とだって上手く喋れない。皆が言ってる事、やってる事、理解出来ない事だって沢山ある。僕……僕、いつまでも慎吾に迷惑かけてる。慎吾や康哲に迷惑ばかりかけてる……」
俯いてしまった僕の頭に、優しい慎吾の手がフワリと触れた。
「朝幸は、全然わかってないね」
「え……?」
「朝幸はね?あの時……逃げてきた時から、やっと人としての人生を始めたばかりなんだ。だから、周りの子とちょっと違ってても当たり前。でもね?朝幸は、頑張って皆に追いつこうと努力してる。前にも言ったよね?一歩一歩、進んでいるのなら、何も卑下する必要はないんだよ?朝幸は朝幸の速度で歩けばいいって、前に言ったよね?」
「……そう、だけど」
「僕の言う事……信用できない?」
「そんな事ない!けど……僕、皆の役に立ちたくて……」
「十分、僕は朝幸にしてもらってるよ?」
「うそ!」
「朝幸がいるおかげで、僕は毎日幸せだ。もう家族だと思ってる」
ニッコリ笑う慎吾。
「俺も言っただろ?俺がお父さんで、慎吾はお母さんだ」
大野はお兄ちゃんだな〜。
後ろから康哲の声が聞こえて……
「はい。頑張ったご褒美」
と、目の前にココアの入ったカップが上から降りてきた。
「あんまり頑張りすぎるなよ?さっきも言ったけど……すぐに大きくなっちゃうと、お父さんは寂しいぜ?」
優しく笑うから、僕もつられて笑顔になった。
「朝幸、怪我が治ったら、一緒に練習しよう?」
慎吾の言葉。
「慎吾!いいの?」
「うん。今度、病院がお休みの日に、僕と、朝幸と、すずっくんで練習しよう?」
「ありがとう!」
「大丈夫。すぐに乗れるようになるよ」
でも……
「すずっくんも言ったけど……頑張りすぎて、あまり離れられると寂しいから、ちょっと肩の力を抜いて?」
朝幸、力入りすぎ。
ポンっと僕の両肩を叩いて、慎吾が笑った。
「僕らも、まだまだ「普通」に慣れてない。だから、皆でゆっくり頑張っていこう?」
「皆で?」
「そ、皆で。一人より、皆で頑張る方が、心強いでしょ?」
言われて、コクリと頷いた。

きっと、自転車だって
隠れて一人練習するよりも
3人でやればきっとすぐ乗れるようになる

皆がいるから、僕は生きてる。
頑張れる。




きっと、今なら
あの自転車に乗って
何処までもいけるような気がした

慎吾が

風の様に優しく
背中を押してくれるから




post script
なんだろ〜。
全然思ってた話じゃない〜(爆)。
どうも、朝幸目線が書きづらくなっちゃって(苦笑)。
なんでかっていうと……
最近、ちょっと暗いお話書きすぎてて、幸せな空気がつかめなかった(爆)。
でも、この家族(笑)好きなので、話自体は好きなんですが。
上手くまとめられていない自分の度量が気に入りません(爆)。


ちなみに、先に自転車を置きにいった康哲が、何故自転車に乗っていかず、押して帰ったかといいますと……朝幸が大事にしているから乗っちゃだめだろ、って気持ちもあったのですが、現実的にサドルの位置とか全く違うんで、直すの面倒だからだと思います(爆)。サイズの問題ね、ようは(笑)。
で、やっと朝幸の精神年齢設定が低いわけを、此処に書くことが出来てよかった。
彼らは、あの世界から逃げてきてからがちゃんとした人間としての始まりみたいなものですから、まだまだ赤ちゃんみたいなもんなんです(笑)。なので、子供っぽくても「あ〜そうなのね」と思ってください(笑)。

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