何かを伝える手段
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■ 『逃亡者』 外伝 ■
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僕にはどうしても伝えたいのに、伝える事の出来ない思いがある。
なんて言葉にしていいか、わからないんだ。
感謝、とかありがとう、とか。
そんなものじゃ足りなくて。
僕の、この心の中身を全て伝える為の言葉を
僕は知らなかった。
「どうしたの?朝幸」
気がついたら、僕はボーっとしていたらしい。
ドアを開けて、慎吾が入ってきた事にも全く気がつかなかった。
「あ、あの…」
「さては、勉強しすぎてつかれちゃったな?丁度良かった。おやつにしよう」
そう笑って、慎吾は片手に乗せたトレイを僕の勉強机へ置いた。
「うわっ!美味しそう〜」
僕の好きなドーナツ。
慎吾が作ってくれるドーナツはとても美味しいんだ。
今、僕は早く慎吾の役に立てるよう、お医者さんの勉強を始め…られるように、一生懸命勉強中だ。
慎吾が勉強机を買ってくれたんだ。
だから、頑張らなくちゃ。
「どう?進んでる?」
僕の頭をクシャリと撫ぜる。
「ん。なんだか、わからない事もあるけど、大丈夫」
「夜は時間が空くから、勉強を見てあげるよ。それまでは…あ、そうだ。大野に教わるといい」
アイツ、やる事なくて暇だって文句ばかり言うからね。
慎吾は笑う。
大野君は、今では車椅子で外出できるほど、元気になってきた。
もうすぐ、歩くリハビリも始めるといってた。
「教えて…くれるかな?」
ちょっと不安で慎吾を覗き込む。
「もちろん。喜んで教えてくれるよ。大野は朝幸が気に入ってるんだ」
もちろん、僕もね。
笑って慎吾は不図、腕の時計に眼をやった。
「あぁ、いけない。午後の診察の時間が近づいてる」
じゃあ、行くね。
「あ…慎吾!」
「何?」
「…えぇっと。あの…。あ、ドーナツありがと。ココアもとっても美味しい」
「どう致しまして。勉強、頑張るんだよ?」
そう言って、慎吾は部屋から出て行った。
…はぁ。
あんな事じゃないんだ。
そりゃ、おやつの差し入れも、勉強机の事も
一つ一つはお礼を一応言っている僕だけど。
慎吾に伝えたい事はそんな事じゃない。
僕を…
闇から救い出してくれた事。
人間として生きていくことを教えてくれた事。
そして…一緒に生きていく事を許してくれた事。
慎吾がいなくちゃ、僕は今此処にいる事はないだろう。
僕に、笑顔を与えてくれた人。
感謝なんて言葉じゃ、伝えきれないこの思いを
いっそ、胸を切り裂いて見せる事が出来たらどんなにいいだろう。
「…はぁ。僕ってダメだな」
大きな溜息と共に呟いた。
「…何がダメなの?」
ビクっとして振り向くと、そこには「やぁ」と笑う大野君の姿。
「慎吾にね、朝幸の勉強見てあげてって頼まれたから」
そう言って、僕の横に車椅子を進める。
「勉強、わかんないの?」
小首を傾げて尋ねる大野君に、僕は・・・ちょっとだけ考えて、首を横に振った。
「…勉強もわからないけど。もっとわからない事があるんだ」
俯いてしまった僕の頭に、大野君の温かい手が触れる。
「どんな事?」
「…僕の、今の気持ちを表す言葉がわからない」
「今の気持ち?」
聞かれて、僕は全て話した。
僕の話を聞きながら、大野君はうんうんと頷いていた。
「なんて言っていいのかわからないって気持ちをそのまま慎吾に伝えればわかるとは思うけど…」
そして、少しの沈黙の後、大野君は笑った。
「言葉が出てこないなら、他の手段を選べばいいんだよ」
「え?」
「たとえば、手を握ってみる。笑ってみる。そんな些細な事でも、ちゃんと相手に伝わる事がある。朝幸が元気に成長していく事もそう。勉強して頑張ってる姿を見せる事だってそう。全て相手はちゃんと見て、わかってくれる。朝幸のその気持ち、ちゃんとわかってくれているよ?だから、安心して勉強しなさい」
そう言って、大野君は一つ残っていたドーナツに手を伸ばす。
「あ!」
「授業料」
ニシシと笑う大野君に
僕も釣られて笑った。
「ありがとう、大野君」
言うと
「笑顔に書いてあったからわかってるよ」
と僕のおでこをチョンとつついた。
「僕だってね、伝え切れていないと今でも思ってるんだ」
「何を?」
「慎吾への、言葉に出来ない思いをね。だけど、僕に出来る事は、早くリハビリして、早く元気になる事。それが慎吾への一番の恩返しだと思っているから。朝幸もそうでしょ?」
言われて、僕はコクリと頷いた。
「一緒に、恩返ししていこう?それでも、不安なら、慎吾に聞いてごらん?もどかしい思いを、わかってくれるかどうか」
さて、
「じゃあ、まずは恩返しの一歩として、ちゃんと勉強しようか。どこがわからない?」
自然と、大野君は会話を切り替えてくれた。
僕も、慎吾への恩返しの為に、必死に勉強する事にした。
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夜になって、慎吾は僕の部屋に来てくれた。
「さてと。何処まで進んでいるのかな?」
僕の手元にある問題集をめくろうとした手に、手を重ねた。
「朝幸?」
どうしたの?
心配そうな慎吾に僕は小さな声で呟いた。
「僕…慎吾に…もっともっと…」
それ以上…出てこない。
僕はやっぱりダメなんだ。
大野君があんなに言ってくれたのに。
大野君に話したときのようにさえ、慎吾に向かって話すことが出来ない。
気がつけば
僕の眼には大粒の涙。
「どうしたの。あぁ、すっかり大洪水を起こしちゃって」
そう言って、慎吾の指が僕の涙を拭ってくれる。
「朝幸。僕はね、いつも言っているけど…朝幸が大好きだよ?僕が今、こうして笑顔で頑張っていられるのも、朝幸のおかげだ。感謝しても感謝しつくせないほど…僕に、前を向かせてくれたのは朝幸なんだよ?」
僕はびっくりして顔を上げた。
「うそ…」
「ウソなんて…僕が朝幸にウソついたこと、ある?」
「ううん…ない」
「でしょ?僕は…言葉には出来ないほど、朝幸に感謝してる。そして…僕の都合のいい勘違いじゃなければ、朝幸も同じ気持ちでいてくれているんだよね?」
「慎吾っ!!」
僕は嬉しくて飛びついた。
わかってくれていた。
ちゃんと、伝わってた。
言葉には出来なかった思いを。
慎吾にはちゃんと伝わっていた。
「…ねぇ、朝幸」
僕の背中をポンポンと優しくたたきながら、慎吾は続けた。
「僕の…朝幸を思う気持ち、ちゃんと伝わっているから、朝幸も僕に感謝の気持ちを持ってくれたんだよね?僕の気持ちも、ちゃんと朝幸に届いているんだよね?」
聞かれて、コクリと頷いた。
慎吾の気持ちはちゃんと伝わってた。
ただ…
「僕なんかに…そこまで」
そう。
僕みたいに、まだ出来損ないの人間に…
そこまでしてもらえるなんて信じられなくて。
…自分が信じられなくて。
「僕なんか?朝幸、何言ってるの。卑屈になんかならなくていいよ。朝幸は、朝幸のペースで日々を頑張っているんだ。いいかい、朝幸。人の生きていく道はね、他人と比べるものじゃないんだ。人の数だけ、人の生きていく道がある。朝幸は今、自分の道をちゃんと進んでる。他人と比べて、じゃなくて、自分の道の途中で、サボってしまったと感じるなら、自分を責めてもいいけど…寄り道をしながらでも、ちゃんと前に向って一歩一歩進んで行こうとしているのなら、胸を張っていいんだよ?」
凄い。
慎吾の言葉が
僕の中に
スーっと沁み込んでいく。
「慎吾…大好きだよ。僕、慎吾が本当に大好きなんだ」
いつも、優しくて
あったかくて
大きくて
「ありがと。偉そうな事言ってるけど…全部すずっくんの受け売りなんだよ。僕が昔、今の朝幸みたいに、自分に自信が無かった時、言われたんだ。僕も…朝幸と同じだ」
そう言って、慎吾が笑った。
そして
「僕もね…もう、聞き飽きたかもしれないけど…朝幸が大好きだよ」
その言葉に、僕はまた大泣きしてしまった
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「おや?勉強してたんじゃないのか?」
片手にコーヒーカップを持って鈴木は部屋を覗き込む。
「泣き疲れちゃったみたい」
ベッドに腰掛け、小さく笑う町田の腕の中には、スヤスヤ眠る屋良の姿。
「…ベッドに寝かせてやればいいだろ」
呆れた鈴木が町田の隣に座る。
「それが…離してくれないんだよ」
苦笑しながら、「ほら」と鈴木に見せる。
「あらら…こりゃ完全に懐かれてんなぁ」
「昔は完全な野良だったのにね」
「今じゃ、すっかり血統書付きの家猫だ」
そういいながら、町田のシャツをしっかりと握って離さない屋良を見ながら二人で笑う。
「でも、このままにしとくわけにもいかないな」
そういうと、鈴木はコーヒーを机に置く。
「お、こんなに進んでるのか?」
屋良の問題集を覗き込み、微かに微笑んだ。
「頑張ってるみたい。無理しなきゃいいけど…僕は今のままの朝幸でも大好きなのにね」
「もっと好きになって欲しいのか。欲張りだなぁ〜屋良は」
そういいながら、町田から、そっと屋良を引き離し、掴んでいるシャツを何とか離させて、抱え上げベッドへ寝かせる。
「可愛い顔して眠ってんなぁ。見てると癒されるよ」
笑う鈴木に町田も頷く。
「天使みたいなもんだね〜」
「さて、コーヒーでも飲むか?」
鈴木は町田に尋ねる。
「すずっくん、何か用事あったんじゃないの?」
コーヒー持ってたから
「研究の途中じゃ?」
町田の言葉に
「息抜きしようと思ってさ。コーヒー飲もうと思って。でも、一人で部屋で飲んでも…な?」
片目を瞑って笑う鈴木に町田も笑う。
「じゃあ、付き合ってあげるよ、しょうがない」
「しょうがないってお前…」
「また、すずっくんに助けられた事だしね」
「ん?たいした労働じゃなかったぜ?屋良軽いし」
「軽いって言ったら、本人怒るよ。…そうじゃなくってさ。正確に言うと…昔のすずっくんに助けられた」
「なんだそりゃ?」
肩をすくめる鈴木に、町田は小さく笑って鈴木の背中を押す。
「いいからいいから。ホラ、コーヒー飲みに行こう」
「って、俺、コーヒーそこ置きっぱなしだっつーの」
「はいはい、持ってってあげるから」
「俺、腹も空いたな〜」
「何か、作らせていただきます」
「よろしく」
笑う鈴木。
町田が屋良の部屋のドアを静かに閉めて振り向いた時。
鈴木が、柔らかい笑顔で町田に告げた。
「ちゃんと、幸せな道歩けてるじゃん」
俺の言ったとおりだろ?
また、ウインクしてみせる鈴木。
「…。わかってたの?」
「何年付き合ってると思ってんだよ。お前の考える事なんて、手に取るようにわかるさ」
そういって、鈴木はクルっと台所へ向う。
そして、笑いながら町田に告げた。
「屋良や大野の半分くらいでいいから、俺のことも好きでいてね」
図々しいのか控えめなのか冗談なのか本気なのかも全くわからない鈴木の言葉に
「ホントはわかってるくせに」
と聞こえないように小さく呟き、町田は笑った。
だって、言葉にしなくても伝わっているんだから。
post script
あれ?屋良町しか出さないつもりだったのに(笑)。
出来上がってみたら、4人家族のホノボノ日常劇場みたいになってしまいました(爆)。
父・・・すずっくん
母・・・町子(笑)
長男・・・智
次男・・・朝幸
ね?そうでしょ?(何が)
だってさ、朝幸寝かすとこなんて完全にお父さんとお母さんだよ(笑)。
まったくこんな話書くつもりじゃなかったのになぁ〜。
…でも好き(爆)。
すずっくん伝授の町田さんの言葉は、最近私が自分に言い聞かせている言葉です(笑)。
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