**四**

部屋に戻ると、幸人は真次の膝に頭を乗せて眠っていた。
「寝たの?」
直樹が尋ねると、
「ちょっと前にね」
と微笑んで答えた真次は唇の前に人差し指を立て、静かにね、と声に出さずに言った。
「可愛い寝顔だね」
思わず微笑んでしまった。
幸人の寝顔は天使のようだった。
何も知らない、純粋な子供のような寝顔。
いや…実際に、幸人は子供なのだ。
歳は、僕等と同じ15歳。でも、幸人は「6歳」だった。
以前、直樹に何故そうなったのか聞いたことがある。
直樹は少しの辛さと、怒りを混ぜた表情で話してくれた。

「幸人が9歳のときだった。両親が死んだんだ」

強盗に襲われた。
ベッドの下に両親の手によって隠されていたと思われる幸人は、隙間から全てを見ていたという。
夜中だった為、目撃者もなく、防音設備の整った家で行われた残虐な行為は、すぐには知られる事はなく、姿を見ない事を不審に思った近隣の人が尋ねていってみると、血の海が乾いてしまったような真っ赤な床の上の母親の身体に、ベッドの下から手を伸ばしてしがみつきながら、小さな声で何かを呟いて母を見つめている幸人がいたそうだ。それは、両親の死から約一週間後の事らしい。
「その一週間の間に、幸人はゆっくりと精神を壊して行ったんだろう。俺のいる施設に運ばれてきたときには、産まれたばかりの赤ん坊のようになっていた。これは、全て保護施設の人に聞いた話だ。大まかな事実しかわからないけどな。そんな状況に置かれた時の気持ちなんて、本人しかわからないさ。でも、どれほど酷く辛い事なのか、くらいは想像出来る」

直樹は、僕等に話す間、とても冷静に淡々と言葉を繋げていた。
それが、余計直樹の心の痛みや憎しみを僕等に伝えていた。
この話を聞いたとき、直樹は一生幸人を守っていこうと決心したという。

眠っている幸人の顔をもう一度見た。
全てを忘れ、何も知らない子供へと戻っていった幸人。
幸人には、きっとこの方が幸せなのだと思う。
真実を、全て知る事が正しいとは限らない。

そう…全てを知る事は…時に悲劇を産むものなんだ。

「なぁ、お茶にしないか?」
友一の言葉に、ハッと我に返る。
「そうだね、ちょっと喉が渇いた」
真次も頷く。
「真次、俺が代わるから、何か飲んでおいでよ」
直樹はそう言って、真次を膝枕から開放するために、幸人を抱きかかえた。
「ありがとう」
笑って、友一の後をついて行こうと立ち上がった真次の肩をそっと叩く。
「何?朝幸」
振り向いた真次の耳元で、コソっと呟いた。
「後で話がしたいんだ…友一の事」
そういうと、一瞬真次の顔が怯えるような不安の色を見せた。
一瞬だったけど。
「わかった」
そう答えた真次の顔はすでにいつもの真次だった。
優しく、柔らかい笑顔。
僕の、大好きな笑顔だった。

台所へ向かうと、智がいた。
「やあ、何か飲むの?」
笑顔で尋ねる智。
…僕が、今一番怖い笑顔だ。
あの日以来、智の笑顔が作り物に見える。
笑顔の裏に…恐ろしい何かを隠しているような。
「喉が渇いちゃって」
そう答えた友一に、
「じゃあ、コレ飲んでいいよ。今、飲もうと思って入れたんだけど」
「いいの?」
差し出されたコップを手に取る友一。
「真次達にも、今淹れてあげるよ」
笑って言う智に、僕は思わず首を振った。
「いいよ。自分で淹れるから」
僕の言葉に、智はちょっとだけ目を丸くして驚き、そしてすぐにまたあの笑顔を顔に貼り付けた。
「そう?じゃあ、好きなもの飲んでよ」
そして、出て行く。
「どしたの?朝幸。ちょっと怖かったよ?今」
友一の言葉に、「ごめん…」と答えると、僕は何も飲まずにその場を後にした。
自分でもわからない。でも、怖かったのだ。智が怖い。智には近づいてはいけない。無意識のうちに、自分の中でそう思ってしまっている。誰かが…頭の中で誰かが言うんだ。「智は…危険だ」と。
部屋に戻って、ベッドにバタリと倒れこんだ。
怖くて、仕方がなかった。
何かが、起きている。
そんな気がする。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「誰??」
声が上ずってしまう。
「僕だよ。真次だ」
安心して息をフッと吐き、ドアを開ける。
「話が…あるんだ」
真次の顔は少し青白かった。
「そうだ。僕も真次に話があったんだった」
さっき、約束していたのだ。
「入ってよ」
そう言って、真次を部屋へと招きいれた。
後ろ手でドアを閉めた真次は、そのままそこへ立ち尽くしていた。
「どうしたの?とりあえず座ろう?」
促すと、真次は顔を上げ、僕を真っ直ぐ見据える。
「気が…付いた事があるんだ」
青白い顔が、ますます色を失くしていく様が、目に見えてわかる。
「気が付いたこと?」
聞き返すと、真次は小さく頷いた。
「友一、ここしばらく寝坊してばかりだよね?」
「うん。そうだね。2〜3日おきには寝坊してる感じだよね」
それが、どうしたの?
尋ねたと同時に、背筋にゾクゾクとした、言いようのない感じを覚えた。
「寝坊しはじめた頃から…友一は何か違う感じがするんだ」
友一が…友一じゃなくなっている気がする。
真次は、震えていた。
寒さに、ではない。恐怖によって震えていた。
目を見ればわかる。
真次の目は、得体の知れない「恐怖」に怯えた目をしていた。
きっと、今の僕も同じ目をしているだろう。
「…それで、気が付いた事って、何?」
声が掠れている。僕は、ものすごく喉が乾いていた。
僕の言葉に、真次は、ゆっくりと、囁くように、それでいてはっきりと告げた。

「友一が寝坊する前の日、必ず…智から飲み物を受け取っていた気がする」

心臓が大きく跳ねた。
今、この瞬間に、踏み込まなくていい部分へ、足を踏み入れてしまった気がした。

全てを知る事は…時に悲劇を産むもの。

わかっているはずなのに。
わかっていたはずなのに。
僕は、全てを知る道を選んでしまった気がする。

「どう、思う?朝幸」
消え入りそうな真次の呟き。

このまま、気付かないふりをしてもいい。
知らない方がいい事だってあるんだ。
友一の事も、慎吾の事も。
そして、智の事も。

でも、それは出来なかった。
友一を心配する真次の為に。
僕の大好きな真次の笑顔を、いつまでも見ている事が出来るように。
そして、慎吾の為に。
何かが起きているのなら、助けてあげたい。救ってあげたい。力になってあげたい。

だから

気付かないふりは出来ない。


そう、決めた瞬間。
いいようのない「恐怖」に襲われた。
きっと、とんでもない事が起きている。
直感だけど。そんな気がする。

最悪な予感。   僕は眩暈がした。









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4話です。
あまり長くするつもりはないので、結構早い展開で進めていこうと思ってます。
で、幸人の事をちょっと入れておきました。
裏設定だけで使うつもりだったんですが、流れ的に、幸人の事だけは入れておこうと思いまして。
彼等は、それぞれ、辛い過去を抱えているんです。
でも、きっと他の人たちの過去は出てくる事はないでしょう(ぇ)。単なる裏設定だから。
ところどころ、ニュアンスではきっと出てくる事はあると思いますけど、ここまではっきりと過去に触れるのは幸人だけの予定です。



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